石原慎太郎の限界と太田光の可能性。
2006年 11月 12日
『秋の教育スペシャル!
たけしの日本教育白書
楽しくマジメに生放送』という番組を見た。
夕方6時から夜中の12時までの6時間の長丁場。
鶏つくね鍋を食べながら、結局最初から最後まで付き合ってしまった。
要は
『日本人の品格を取り戻すには昔の教育を見直したほうがいいのでは?』
というオチにしたかったんだと思う。
ま、それはそれとして。
番組の一番の呼び物、
石原慎太郎と久米宏とビートたけし、そして爆笑問題の討論が面白かった。
石原さんの
『 今の子どもは弱い。いじめなんか昔からあった。
みんなそういうのを乗り越えているんだ。
いじめられたから死ぬなんていうのは弱いやつが甘えてるんだ。
死にたきゃ死ね。』 的な発言に座の一同が固まる中、
爆笑問題の太田光が
『時代が違います。』と切り返した。
そして
『極端な例え話ですけど、
戦場の中でビンタされる痛さより、
この平和な世の中で、
毎日通っている学校で、
クラス中の友達から無視されるほうがつらい
と思う子どもがいるんですよ。』
と言った。
少し間があって、
『そりゃ、ビンタされるほうが痛いだろうよ。』と石原さんは言った。
だけど、私にはわかった。
このとき石原さんは『負けた』という顔をした。
いや、違うかな。『嫉妬』の顔かもしれない。
目の前の若造が石原さんにないデリカシーをちゃんと言葉で表現した。
それは政治家としての嫉妬ではなくて、
文学者として、表現者としての嫉妬だったと思う。
この男は『現代においていじめられるつらさとはどういうものか』
ということを今まさに目の前で表現したのだ。
今までメディアの中の人はみんな、石原慎太郎のデリカシーのなさを、
煽ったり、迎合したりして、飯の種にしてきたけど、
こんなにちゃんと石原慎太郎に立ち向かった人が、
ジャーナリストでも評論家でもなくコメディアンだとは、w
『日本人の品格がなくなってきたなぁ』がテーマの番組で
実に象徴的なことであった。
たけしの日本教育白書
楽しくマジメに生放送』という番組を見た。
夕方6時から夜中の12時までの6時間の長丁場。
鶏つくね鍋を食べながら、結局最初から最後まで付き合ってしまった。
要は
『日本人の品格を取り戻すには昔の教育を見直したほうがいいのでは?』
というオチにしたかったんだと思う。
ま、それはそれとして。
番組の一番の呼び物、
石原慎太郎と久米宏とビートたけし、そして爆笑問題の討論が面白かった。
石原さんの
『 今の子どもは弱い。いじめなんか昔からあった。
みんなそういうのを乗り越えているんだ。
いじめられたから死ぬなんていうのは弱いやつが甘えてるんだ。
死にたきゃ死ね。』 的な発言に座の一同が固まる中、
爆笑問題の太田光が
『時代が違います。』と切り返した。
そして
『極端な例え話ですけど、
戦場の中でビンタされる痛さより、
この平和な世の中で、
毎日通っている学校で、
クラス中の友達から無視されるほうがつらい
と思う子どもがいるんですよ。』
と言った。
少し間があって、
『そりゃ、ビンタされるほうが痛いだろうよ。』と石原さんは言った。
だけど、私にはわかった。
このとき石原さんは『負けた』という顔をした。
いや、違うかな。『嫉妬』の顔かもしれない。
目の前の若造が石原さんにないデリカシーをちゃんと言葉で表現した。
それは政治家としての嫉妬ではなくて、
文学者として、表現者としての嫉妬だったと思う。
この男は『現代においていじめられるつらさとはどういうものか』
ということを今まさに目の前で表現したのだ。
今までメディアの中の人はみんな、石原慎太郎のデリカシーのなさを、
煽ったり、迎合したりして、飯の種にしてきたけど、
こんなにちゃんと石原慎太郎に立ち向かった人が、
ジャーナリストでも評論家でもなくコメディアンだとは、w
『日本人の品格がなくなってきたなぁ』がテーマの番組で
実に象徴的なことであった。
by hanarobo
| 2006-11-12 01:39
| メディア