頭に浮かんだ よしなしごと。


by hanarobo

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思いおこせば。

はなロボ 「ねぇ、どっちかっていうとパパってさ、」

パパロボ 「うん。」

はなロボ 「私のいいところの方を先に見た人やよね?」

パパロボ 「ああ、うん。」

はなロボ 「バリバリ仕事してるとこを。」

パパロボ 「うん。」

はなロボ 「私にダメダメなところがあるって、いつわかったん?

       っていうか、

       わかったとき、幻滅せーへんかったん?」


パパロボ 「いや、部屋に来てコーヒー出したとき、」

はなロボ 「え!もう、そのときにわかったん?!」


そう、15年前の冬。 


パパロボと私がそれぞれ別の部署のネットワークの担当者となった。
作業の性質上2人で組んで仕事をしなくてはいけなくなった。
それで、打ち合わせのため、私がパパロボの居室を訪問したのだ。

そのときにパパロボは自ら私にコーヒーを入れてくれたのだった。


パパロボのいた部屋はトイレの隣のコンピュータルームで、
そのコンピュータルーム全体がなぜか異様にトイレくさかった。ww
あのなんともいえない水っぽい臭いがした。


だからパパロボが入れてくれたコーヒーを飲むのは勇気がいった。ww


はなロボ 「なんで、そのときにわかったん?」

パパロボ 「なんか飲む前に言ったことがおかしかってん。」

はなロボ 「なんて言ったん?
       『トイレくさいですね。』とかw?」

パパロボ 「いや、そんなストレートなことじゃないんやけど、
       なんか面白いこと言ったから、
       この子は気取ってなくて話しやすいな、って。」

はなロボ 「それって、ダメダメな感じじゃないやん。」

パパロボ 「いや、だから、、、つまりいたずらっぽいっていうか、
       子どもっぽいトコがあるな、と。」

はなロボ 「あ=== そうか= は~」




当時はがんばってたのになぁ…
キャリアウーマン(めっちゃ死語)気取って。ww
ハイヒールにスーツで。www


だけど、いつも


デキル感じで押し通そうとしても、
そういうところが透けて見えるみたいで
もひとつ頼りない感じやったな、自分でも。
仕事相手はもっと思ったやろうけども。ww


パパロボと打ち合わせするときも、相手のことを知っとかなくては、
って思って事前に経歴関連の書類見たりして。
なんせデキル女(のつもり)だし。w


それで、同じ大学出身だということがわかったのだった。


だから、部屋に行ったとき

「○○さん(パパロボ)って、私と同じ大学出てはるんですね~」

というので、まず話を切り出した。

和やかムード演出!と思って。w


パパロボ 「そうですよ。
       私は、はなロボさんが入ったときから知ってましたよ。」


はなロボ 「え゛!入って今年でもう7年目になりますけど。」


パパロボ 「はい、それくらい前から。」


はなロボ 「え====
       そんなんだったら、お食事にでも誘ってくだされば
       ご一緒したのに~」 


そう言ったら、


パパロボは、見る間にボワっと赤くなったのだった。w


で、


私は 「あ。」と思ったのだった。





(つづく)
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by hanarobo | 2007-05-12 02:19 | 思い出

おばあちゃんのこと。

 CDを聞いていたらその歌詞に「あんじょう」という言葉が出てきた。

「あんじょう」というのは古い大阪弁で、
「ちゃんと」とか、「しっかりと」、っていう意味だ。



私の世代ではもう使わないけど、そういえばおばあちゃんが使っていたなぁ…
と思い出した。


「あんじょうしなさいや。」って。




父方のおばあちゃんはお嬢さん育ちで、おっとりとした人だった。
7人の子どもを産み、そのうちの1人を亡くし、40代で夫を亡くした。

そんなに苦労しているのに、そんな風に見えなかった。




「おばあちゃんは、奈良のええとこの『いとはん』やってんで。」

と身内自慢の好きな父が酒を飲むとよく言っていた。

「奈良の女子師範学校出てるんや。」



おばあちゃんは、薄くなった髪の毛で丸髷を結っていて、
いつも地味な着物を着ていて、ざぶとんの上にちんと座っていた。


父は7人兄弟の末っ子で、おばあちゃんが40のときの子だ。

私は父が32のときの子だから、
私が幼稚園のときにはおばあちゃんは、もう70代後半だった。


小さくて、痩せててちょっと前かがみで、
動作がとてもゆっくりしていた。


おばあちゃんが「あははは。」と笑うところを見たことない。
巾着みたいな口をちょっとすぼめて「うふふふ。」って笑った。


愚痴を言ったり、怒ったり、人の悪口を言ったり、
説教したりなんてこともなかった。

話す声も小さかった。



私はその当時は珍しい1人っ子だったので、
親戚で集まると私を目の前に置いて(わからないとでも思っているのか)

やれ、「1人っ子はわがままになるで。」とか「甘えたになるで。」とか
「兄弟に揉まれてない子は弱いで。」とか、
もうほんとにいろいろ言われ放題だった。


でも、おばあちゃんはなんにも言わなかった。



遊びに行くと、


なんていったらいいのかな?、、、
5円玉に紐を通して輪にしたもの、をくれた。
長いときは全周70~80センチくらいになったと思う。


5円玉はピカピカのものが多かった。
紐は確かいつも赤い色だった。


私はなぜか金属のピカピカして重量感のあるものが大好きで、
拾ったパチンコ玉や町工場の前の道に落ちてた光輝くボルトなどを
缶にいれて大事に持っていた。

そしてときどき自分で眺めたり、大人に見せたりして喜んでいた。


だからおばあちゃんは、5円玉をくれたのかな。




おばあちゃんは伯父の家に同居していた。
もう家事なんてぜんぜんしてなくて奥の部屋でちんとしていた。
部屋には仏壇とこたつがあるだけで、TVもなかった。


私が親と行くときは、親は大人だけで集まって、
私はおばあちゃんの部屋に預けられた。


部屋に行くと、おばあちゃんはちょっと笑って、
それからゆっくりと立ち上がって、柱の丸いひっかけねじにかけてある
例の5円玉の輪っかをはずして私にくれた。

私が喜んでいると、親が「ほら、ありがとうは?」って言った。


おばあちゃんの部屋の窓を開けると、すぐ前を線路が通っていた。
南海平野線のちんちん電車が目の前を走った。


窓から電車をながめたり、おばあちゃんのしわだらけの手の皮を
ひっぱって遊んだりしてたら、いつのまにか帰る時間になった。


「また来るときまでに貯めとくさかいな。」っておばあちゃんが言った。


「ピカピカのんにしてな。」って私は言った。
時々どす黒いのも混じっていたからだ。w


「なかなかあれへんでな。」って、おばあちゃんは言った。

「でもさがしとくわな。」



小学校2年生のとき母が入院した。
家事の全くできない父は、おばあちゃんを呼んだ。

もう80は超えていたはずだ。
さらに動作がゆっくりになっていた。
体は枯れ木のようになっていた。


もう私は5円玉を喜ばなくなっていたし、
人を小ばかにするようないやらしい子どもになっていた。


お風呂に入るとおばあちゃんのしなびたおっぱいを指差して笑った。
入れ歯をはずして、くちゃってなった顔を笑った。

おばあちゃんはヤクルトが飲めなかった。
小さい容器なので口をうまくすぼめられなくて
横からだらだらとこぼれてしまうのだ。

私はおなかをよじって笑い転げた。
おばあちゃんは「うふふ」って笑って「難儀やなぁ。」って言った。



私は「おばあちゃんはどんくさいなぁ~」ってよく言った。

笑っていうこともあったし、
イライラして言うこともあった。

それでもおばあちゃんは特になんにも言わなかったと思う。



母がいなかったし、父はわからず屋だし、
おばあちゃんはどんくさいし、私は荒れていたかもしれない。



しばらくして、学校から帰ると母がいた。


玄関先で私は立ったままじっと母を見た。
母は正座してこっちを見ていた。


父はいつも
「おかあさんは体が弱いからわがまま言うたらあかんで。」て言っていた。
だから、久しぶりに会ってもどうしていいかわからなかった。
お互いに。

私は黙って母を見つめていた。
おばあちゃんとのお別れだった。





それからすぐ、私たちの住んでいるところの上に高速道路が通ることになって、
うちの家もおばあちゃんの家も立ち退きすることになった。

みんな引越しして、
うちとおばあちゃんの家はそうそういける距離ではなくなってしまった。


そして、おばあちゃんに会うこともあんまりなくなった。



中学3年生のとき、おばあちゃんがしんだ。
年も年だったし自然のことだと受け止めた。
涙も出なかった。





…とそんなことを、



歌の中の「あんじょう」という単語を聞いて思い出した。




おばあちゃんのことを笑ったりして悪かったな。って。




そして、、、、そのとき



あ、と気づいた。



赤い紐を通した5円玉。




遊びにいく間が遠のくと、長くなった5円玉の厚みとその重さ。





おばあちゃんは、


その1枚1枚を赤い紐にくぐらせるたびに私のことを考えてたんだ、って。
「はなロボちゃん、喜ぶやろな。」って。


お店でピカピカの5円玉のおつりをもらったら、
私が喜ぶって思った、その気持ち。



1枚1枚におばあちゃんの心が乗っかっていたんだ、って。



それがぱっとわかった。



ほんとうにわかった。






おばあちゃん、ごめんなさい。


ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。。。




もう泣けてきて泣けてきて、
顔中ぐしゃぐしゃになって、
膝を抱えて泣いた。



どないしょ=
もうすぐミニロボが帰ってくるのに。

目が腫れてしまうやん。




他の事を考えるんだ!!はなロボ!!!





でも、



オカダさんも、イシダくんも歯が立たない。




私は泣き続けた。
とまらなかった。


頭の中には、控えめに笑うおばあちゃんの顔が浮かんでしかたなかった。


人の親になってやっとおばあちゃんがピカピカの5円玉を
集めてくれてたときの気持ちがわかったよ。


おばあちゃんもうれしかったん?
私が喜ぶのん楽しみにしてくれてたん?



笑ってごめん、
どんくさいって怒ってごめん。

ごめんな。



小学生のころみたいにしゃくりあげて、
泣いて、泣いて、泣いた。





「かまへんよ。かまへんよ。」っていう
おばあちゃんの声が何回も何回も聞こえていた。




おばあちゃん、ありがとう。
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by hanarobo | 2007-04-13 17:38 | 思い出

スペインで思ったこと。

15年前の夏、休暇をとって
半月ほどスペインでゴロゴロしていた。


いろいろあって職場をやめようかな、と思っていたときだった。
やめてもどうにかなるだろうと思った。
外国でてきとーに働いて日本に帰らんとこかな、なんて夢見た。



世はバブルで、みんな浮かれていた。






職場の元後輩が語学留学していた
バルセロナに逗留した。




そのとき覚えたスペイン語は、

オーラ!= やぁ!

ポルファボール = あの~ちょっと

セルベッサ = ビール

セルベシオ = トイレ

グラシアス = ありがとう


だけ。w


これだけで事足りる生活だった。



後輩が授業に出ている間は、一人で町を観光した。

 サグラダ・ファミリア
 カサ・ミラ
 ピカソ美術館...etc.



朝ごはんは部屋で一緒に食べて
昼ごはんは生ハムのサンドイッチを買ってベンチで食べた。


夜はBAR(バルと読む)のテラスで
いろんな国から来た学生仲間と
サングリアやビールを飲んで騒いだ。

スペイン語と英語が乱れ飛んだ。
国際カップルも生まれた。


そうそう、ピカソが常連だったBARでもよく飲んだ。
なんだかしらないけど、

すげ=、と思った。





毎日楽しかった。
毎日スカッと晴れていた。


無敵だった。





1週間くらい過ぎたころ、何人かで小旅行に出かけた。


もう誰と誰だったか、何人だったかも忘れた。w
なんちゅう名前の町だったかも忘れた。ww


ローカル線にのって、1時間か2時間して、小さな町についた。


昼ごはんはみんなで小高い山の上に登って、
生ハムのサンドイッチを食べた。


 「あ~~~キモチええな~~~~!」(背伸び)


いつもいつも晴れていて、
しかもスカッと晴れていて、
生ハムがおいしくて、
野菜も新鮮で、
何も言うことなかった。


まさしく、すべて世はこともなし。



そのとき後輩が言った。


「はなロボさん、私たちがこうしている間も、
 日本で主婦やってる人たちは
 旦那や子どもの世話に追いまくられているなんて
 バカみたいだと思いません?」


ん?


そのとき私はなんて答えたんだろうか。
それも忘れてしまった。

でも、後輩がそう言ったときのいや~~な感じは覚えている。




一言で言うとこうなんだろう、



私らスゴクね?




何でこのカンペキな気分に水を挿すようなことを言うんだこいつは。
あたしゃ他人と勝負するためにここにいるわけじゃないんだ。
だいたい、私たちは遊んでるだけじゃないか、外人同士で。


そう内省すると、暗くなった。
帰途はちょっと疲れた。



外国でほんとにどーにかなるのか?
当たって砕けろで、砕けちゃったらどーするんだ?



逗留していたバルセロナの宿は、
石造りの古い建物の3階で、
オーナーは日本人の浮世離れしたおばさんで、
黒猫と一緒に住んでいて、
逗留している人たちは、みんな長期滞在の人ばかりだった。



ひとり40歳くらいのナショナル坊やそっくりの小さなおじさん、
(もう私はこの人の歳を超えたけどw)
がいて、その人はもう10年くらいいるという噂だった。


新参者が来ると「どっから来たの?」

あの店はまずいとかおいしいとか、
あの観光スポットはいつ行けばいいとか、
どの大学の授業がいいとか悪いとか、
ハイテンションでしゃべりまくる。



その年齢相応の外見と、
年齢不相応なしゃべりが、
体の小ささと相まって、


なにか私にも繋がる、
ぼんやりとした『危機感』みたいなものを感じた。ww




だから、、、、、そんな彼を見て



いかん!
大人にならなきゃ!



、と思ったのだ。





外国に来て、毎日遊んで、なにかスゴイことしてるような気になってちゃ、
いかんのではないかと。




日本でも外国でもただ同じことをしてるだけだと。w







それからも1週間ほど、



毎朝、3階の宿から石の螺旋階段をポンポンポンと降りてきて、
ひとりでバルセロナの町に繰り出した。


建物の出入り口のところに椅子を出して座っているおじいさんに
「オーラ!」って挨拶をして、
向かいのコンビニで、店員のにーちゃんに「オーラ」って言って水を買って、
大通りまで歩いていった。


歩きながら、
おじいさんやコンビニのにーちゃんは、日本での私たちの姿だ、と思った。


カッコいいとか、悪いとか、そんな問題ではなくて、
あの人たちはスペインに生まれて、
私たちは日本に生まれただけだ。



私たちが夢見た国際人なんて、w
どこにもいないんだ。






後輩には言わなかったけど。ww







そして今、



私は、



専業主婦だけど、





実は、ときどき




私ってスゴイやん。



って思うことがある。






内緒だけど。ww
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by hanarobo | 2007-04-10 18:21 | 思い出
男子話がつづく。



「ママの時はどうだった?」ミニロボが聞く。


春休みになって2人で過ごすことが多い。


能登半島地震があってからは遊びに出ることもない。
ストレスが溜まってるようで、私にからんでくることも多い。


「ママの時も、男子ってアホやった?」


「うん、そうやったよ。ww
別れの挨拶するときは必ず

「さよおなら」やし、

『なごり雪』唄うときは絶対、
  ♪なごり~雪も~降るときお尻♪

って歌って喜んでたよ。」



「へぇ~ww」



そう、


それで思い出した。







小学3年生のときのこと。


掃除の時間だった。







廊下にイシダ君が立たされていた。




胸の辺りに半紙が貼られている。




そこにはイシダ君の字で





     「オカダのおケツは6つ割れ」

と書いてあった。





そう、




書いてあった。




書道の時間にふざけてこんなことを書いた罰として
見せしめのため、

胸にセロハンテープで証拠の品を貼られて。





わははははははは。






不意打ちをくらってツボに入り、私はへたりこんで笑った。


「ちょwwww わははwww なにそれwww」


イシダ君はいまいましそうに私を見る。


(そんなつもりじゃないねん。イシダ君を嗤ってるんじゃないねん)

と思いながらも、あまりのくだらなさに笑いがとまらない。
しかも立てない。


「ぎゃははwww あかんwwww あーーww」


「こら、はなロボ!おまえ何してんねん!!」


(あ、ヤマモト先生)


「おまえ、掃除は=? なにサボってんねん!」


「サボってません。www」
(見てしもて動けなくなってるだけ)


「なに笑ってんねん!」(イライラ)


「え、いや…ちがいww」
(だって『6つ割れ』ですよ。『6つ割れ』)


「もーええわ!おまえもイシダと一緒に立っとけ!」


「え=!」
(一緒って。あんなに睨んでる子と一緒にって。)


「2人並んで立っとけ=====!」


(あ==ん!なんでや====)



こういうのを「とぱっちり」というのだと後で知った。





それにしても…
イシダ君の胸に貼られた紙に『6つ割れ』と書かれた
オカダさんの立場は一体…



そう思ったら、
また笑けてきて隣のイシダに睨まれた。
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by hanarobo | 2007-03-29 23:34 | 思い出