頭に浮かんだ よしなしごと。


by hanarobo

<   2007年 04月 ( 12 )   > この月の画像一覧

明日晴れるかな

明日は高岡御車山まつり。

ということで、



旧家では室内を一般開放していた。


f0103693_2152359.jpg



夜も人通りが絶えない。


f0103693_216857.jpg



天気予報は雨だけど、




明日晴れるといいな。

f0103693_2163341.jpg

[PR]
by hanarobo | 2007-04-30 11:58 | 高岡の大阪人
はなロボ 「明日も休みやろ?」

パパロボ 「何言うてるねん。ええなぁ~気楽で。」

「え?今日29日ちゃうん?」

「明日5月1日やん。出勤やで。」

「ええっ?そやったっけ?
  ほな今日は30日やったんかー」




この程度で動じる私も私

ではある。・・・・が、
 

かといって、


「やっぱり夫婦は似てくるんやなぁ~

 あっはっは。」



という話でもないと思う。w
[PR]
by hanarobo | 2007-04-29 22:29 | 日常

家庭内ワンダースポット

なんだこれ?


f0103693_22272733.jpg




なぜこんなものが?




しかも




小さい。




f0103693_22385636.jpg

[PR]
by hanarobo | 2007-04-25 22:31 | 日常

中学じゃ遅い?

ネット時代の金八先生向けソフト:「荒らし攻撃」&「架空請求」機能付き
http://www.gizmodo.jp/2007/04/post_1350.html



これはすぐにでもミニロボに使わせたいなぁ~





>お値段は1ライセンス2万6250円からとなっています。



高っ!
[PR]
by hanarobo | 2007-04-23 14:16 | メディア
洗面所にいた私に、
ミニロボがなにやら紙切れを持ってきた。


「ママ~ 何これ?」





「『いつも迷惑かけてごめんね』って書いてある。」







「あやまりの手紙?」



あ゛









ぁぁぁぁぁ=========!









いいえ、それは











ラブレターです。w




昔パパに書いた。ww




ど、どこにあったん?(洗面所にしゃがみこんで)



「ママが前にくれたかわいい便箋の間に挟まってた。
 友達と便箋交換しようと思って見てたら、あってん。」



いやや==========
交換せんとって=========
(ToT)




でもなんで残ってるのか?
出さなかった手紙?
下書き?
3枚びっしり書いてある。

でもいまさら恥ずかしくて読めない。



「ママとパパの時代はケータイなかったん?」


ないよぉ。。。


「恋人ってメールとかするって思ってた。」





あ、そうか。
だからミニロボはこれをラブレターだとは思わず…





それにしても、


ミニロボとお友達の便箋交換会で
これが出てきてたらと思うと、


ぎぁぁぁぁぁぁ=====




orz
[PR]
by hanarobo | 2007-04-23 10:38 | 日常

裸の女王様。

いやぁ・・・・・



涙が出てしまいました。








笑いすぎて。







裸の女王様「パイプカット」
http://www.youtube.com/watch?v=j_BJayaTpKo
f0103693_9102142.jpg






騙された!と思ってぜひ。w
[PR]
by hanarobo | 2007-04-20 09:11 | メディア
名セリフ集など。





「後ろを振りむいたときサッと隠れる人がいたら、 
    それはパパかもしれへんで。w」


パパロボ
箱入り嫁 はなロボの旅立ちのときにかけた言葉。
私が顔をしかめると、「うそや、うそや。」と付け加えた。







「あの~飴持ってはります? 
       できたら、いっこいただけません?」


はなロボ
ライブ中、咳がでて困っているときに
隣席の妙齢のご婦人にかけた言葉。
すぐに2つ下さった。







「やっぱり日本海側だけを通っては来れないんですねぇ。」

美音堂市川さん
私がどういう経路で来たかを聞いた後、
大きなため息とともに。






「ホリが深く見えるかな、と思って。」

浜田真理子さん
彼女が青のカラーコンタクトを入れてるのを発見し、
驚いていたらこう言った。






「おまえ、ワシら夫婦を椅子にしとったなぁ。」

KC2こと因幡修次さん
打ち上げで酔った私が
ご夫妻にもたれていたことを評して。w






「仕事したくなったらいつでも連絡ください。」

舞台監督さん
学生時代、好んで芝居の裏方仕事をしていた私の話を聞いて。
「今は主婦です。」というとズッコケていた。






「う~~~~ん。言わへんほうがいいと思う…」

はなロボ
帰宅後「どれくらい飲んだん?」とパパロボに聞かれて。
正直に言うのと、こうして言わないのと、
どっちがよかったんだろう…
、とパパロボの表情を見ながら思った。






番外編の番外

新幹線岡山駅のホームでぼーっと立っていたら
私の後ろに20人ほどの列が出来ていた。

別に私は乗降口の見当をつけて立っていたわけではなく、
立ったまま目を開けて寝ていたようなものだった。

「この人らいったい…」と思ったときに、
新幹線のぞみ号がホームに入ってきた。

はたして、

私の立ち位置は乗降口と乗降口のちょうど中間。ww


私が乗降口にのろのろと歩き出すと、後ろの20人が
「え===」と言いながらついてきた。(ぷぷぷ



この箱入り嫁が
そんなに旅慣れてるように見えたとでも?w
[PR]
by hanarobo | 2007-04-18 16:36 | 日常
二日酔いには、なったことがない。

吐いたこともないし、
頭が痛くなったことも、
おなかが痛くなったこともない。


ただ、


二日間酔いっぱなしになることはよくあった。w
でもそれも大昔の話。






パパロボは「酒飲むと脳細胞がしぬんやで。」と言う。



昔、学園祭の打ち上げで朝まで飲んで、
朝もやのJR三宮駅でみんなと別れたときも、
その後の、お酒にからむどんな朝帰りも、


体は疲れていたのに、
頭は冴えていた。



…っていうか、
シラフのときより研ぎ澄まされていた。



だからきっと、
泊まりで飲むと、


今まで使っていた脳細胞がしんで、
使っていなかった脳細胞が覚醒するんだろうと思う。



ま、それはそれとして。






浜田真理子が松江でライブをやると知って、
行きたくなった。


今まで大阪や東京で何度か見たことはあるけど、
ホームで唄う彼女をどうしても見たかった。


ずっと見たいと思っていた。
できれば子ども抜きで。w


ミニロボ とパパロボ の成長を待っていた。
何年も。







そして

機熟して、2007年4月14日。
やっと松江で彼女を見た。




ホームにも意味があったけど、
ホールにも意味があった。

プラバホールも見たかった。



最初のピアノの音がポロンとなったとき、
「あぁ、これこれ。」と思った。



『あなたへ』で聞いた音色と同じ。
音がホールにまろやかに広がった。

それを聞いただけで、「やっぱここじゃないとなぁ。」と思った。



私が勘繰りすぎなのかもしれないけど、
アウェイで真理子を見るとヨソイキな感じがする。
ヨソイキから緊張がほぐれて場が暖ったまるまで少しある。
その間がもったいなかった。



ホームの真理子は
最初から、


まろやかでのびやかで生き生きしていた。


最近得意になったMCも、より冴えていた。
お客さんを掌で転がしていた。w



1曲1曲を講評する力は私にはないけど、
明らかに「ココで」聞かなければ聞けない音があったと思う。





浜田真理子の楽しみ方にはいろいろあって、

まず楽曲全体の印象、
歌詞、
旋律、

そして、声。


特筆すべきは、高音そのものよりも、
中音域から高音域に移り変わるまさにそのときの声。



本人もその声を出すのがキモチいいのか
そういう展開の曲が多い。

テンポはこれで、
こうきて、こうなって…こうくる、と。



出来レースっちゃ、出来レースだけど、
わかっててもズドンとヤられる。w


うれしいような、くやしいような…ww



喜んどいてナンだが、
あえて言うなら、これからは、


抜き打ち、早打ち、乱れ打ち、そして、
だまし打ち、なんかもされてみたい。w



そういう意味では、私は、
否、私たちは、

まだまだ浜田真理子を知らないのではないか。




古い映画の台詞をもじって言えば、

『You ain't heard nothin' yet!』
(直訳:あなたたちはまだ何も聞いていない!)


かもしれない。





高岡から松江までは電車を乗り継いで7時間半かかった。
往復15時間。


文庫本を2冊持っていったけど、
全く読まなかった。
ずっと車窓を眺めていた。



この旅で、



また、私のいくつかの脳細胞はしんで、
今まで眠っていた脳細胞のどれかが覚醒したんだろうな、


と思う。





ところで、



先ほどの映画の台詞、
本編の字幕訳は、

『お楽しみはこれからだ!』



そして、原題は


『The Jazz Singer』




松江の浜田真理子に捧ぐ。








(了)
[PR]
by hanarobo | 2007-04-17 18:06 | 脳内

おばあちゃんのこと。

 CDを聞いていたらその歌詞に「あんじょう」という言葉が出てきた。

「あんじょう」というのは古い大阪弁で、
「ちゃんと」とか、「しっかりと」、っていう意味だ。



私の世代ではもう使わないけど、そういえばおばあちゃんが使っていたなぁ…
と思い出した。


「あんじょうしなさいや。」って。




父方のおばあちゃんはお嬢さん育ちで、おっとりとした人だった。
7人の子どもを産み、そのうちの1人を亡くし、40代で夫を亡くした。

そんなに苦労しているのに、そんな風に見えなかった。




「おばあちゃんは、奈良のええとこの『いとはん』やってんで。」

と身内自慢の好きな父が酒を飲むとよく言っていた。

「奈良の女子師範学校出てるんや。」



おばあちゃんは、薄くなった髪の毛で丸髷を結っていて、
いつも地味な着物を着ていて、ざぶとんの上にちんと座っていた。


父は7人兄弟の末っ子で、おばあちゃんが40のときの子だ。

私は父が32のときの子だから、
私が幼稚園のときにはおばあちゃんは、もう70代後半だった。


小さくて、痩せててちょっと前かがみで、
動作がとてもゆっくりしていた。


おばあちゃんが「あははは。」と笑うところを見たことない。
巾着みたいな口をちょっとすぼめて「うふふふ。」って笑った。


愚痴を言ったり、怒ったり、人の悪口を言ったり、
説教したりなんてこともなかった。

話す声も小さかった。



私はその当時は珍しい1人っ子だったので、
親戚で集まると私を目の前に置いて(わからないとでも思っているのか)

やれ、「1人っ子はわがままになるで。」とか「甘えたになるで。」とか
「兄弟に揉まれてない子は弱いで。」とか、
もうほんとにいろいろ言われ放題だった。


でも、おばあちゃんはなんにも言わなかった。



遊びに行くと、


なんていったらいいのかな?、、、
5円玉に紐を通して輪にしたもの、をくれた。
長いときは全周70~80センチくらいになったと思う。


5円玉はピカピカのものが多かった。
紐は確かいつも赤い色だった。


私はなぜか金属のピカピカして重量感のあるものが大好きで、
拾ったパチンコ玉や町工場の前の道に落ちてた光輝くボルトなどを
缶にいれて大事に持っていた。

そしてときどき自分で眺めたり、大人に見せたりして喜んでいた。


だからおばあちゃんは、5円玉をくれたのかな。




おばあちゃんは伯父の家に同居していた。
もう家事なんてぜんぜんしてなくて奥の部屋でちんとしていた。
部屋には仏壇とこたつがあるだけで、TVもなかった。


私が親と行くときは、親は大人だけで集まって、
私はおばあちゃんの部屋に預けられた。


部屋に行くと、おばあちゃんはちょっと笑って、
それからゆっくりと立ち上がって、柱の丸いひっかけねじにかけてある
例の5円玉の輪っかをはずして私にくれた。

私が喜んでいると、親が「ほら、ありがとうは?」って言った。


おばあちゃんの部屋の窓を開けると、すぐ前を線路が通っていた。
南海平野線のちんちん電車が目の前を走った。


窓から電車をながめたり、おばあちゃんのしわだらけの手の皮を
ひっぱって遊んだりしてたら、いつのまにか帰る時間になった。


「また来るときまでに貯めとくさかいな。」っておばあちゃんが言った。


「ピカピカのんにしてな。」って私は言った。
時々どす黒いのも混じっていたからだ。w


「なかなかあれへんでな。」って、おばあちゃんは言った。

「でもさがしとくわな。」



小学校2年生のとき母が入院した。
家事の全くできない父は、おばあちゃんを呼んだ。

もう80は超えていたはずだ。
さらに動作がゆっくりになっていた。
体は枯れ木のようになっていた。


もう私は5円玉を喜ばなくなっていたし、
人を小ばかにするようないやらしい子どもになっていた。


お風呂に入るとおばあちゃんのしなびたおっぱいを指差して笑った。
入れ歯をはずして、くちゃってなった顔を笑った。

おばあちゃんはヤクルトが飲めなかった。
小さい容器なので口をうまくすぼめられなくて
横からだらだらとこぼれてしまうのだ。

私はおなかをよじって笑い転げた。
おばあちゃんは「うふふ」って笑って「難儀やなぁ。」って言った。



私は「おばあちゃんはどんくさいなぁ~」ってよく言った。

笑っていうこともあったし、
イライラして言うこともあった。

それでもおばあちゃんは特になんにも言わなかったと思う。



母がいなかったし、父はわからず屋だし、
おばあちゃんはどんくさいし、私は荒れていたかもしれない。



しばらくして、学校から帰ると母がいた。


玄関先で私は立ったままじっと母を見た。
母は正座してこっちを見ていた。


父はいつも
「おかあさんは体が弱いからわがまま言うたらあかんで。」て言っていた。
だから、久しぶりに会ってもどうしていいかわからなかった。
お互いに。

私は黙って母を見つめていた。
おばあちゃんとのお別れだった。





それからすぐ、私たちの住んでいるところの上に高速道路が通ることになって、
うちの家もおばあちゃんの家も立ち退きすることになった。

みんな引越しして、
うちとおばあちゃんの家はそうそういける距離ではなくなってしまった。


そして、おばあちゃんに会うこともあんまりなくなった。



中学3年生のとき、おばあちゃんがしんだ。
年も年だったし自然のことだと受け止めた。
涙も出なかった。





…とそんなことを、



歌の中の「あんじょう」という単語を聞いて思い出した。




おばあちゃんのことを笑ったりして悪かったな。って。




そして、、、、そのとき



あ、と気づいた。



赤い紐を通した5円玉。




遊びにいく間が遠のくと、長くなった5円玉の厚みとその重さ。





おばあちゃんは、


その1枚1枚を赤い紐にくぐらせるたびに私のことを考えてたんだ、って。
「はなロボちゃん、喜ぶやろな。」って。


お店でピカピカの5円玉のおつりをもらったら、
私が喜ぶって思った、その気持ち。



1枚1枚におばあちゃんの心が乗っかっていたんだ、って。



それがぱっとわかった。



ほんとうにわかった。






おばあちゃん、ごめんなさい。


ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。。。




もう泣けてきて泣けてきて、
顔中ぐしゃぐしゃになって、
膝を抱えて泣いた。



どないしょ=
もうすぐミニロボが帰ってくるのに。

目が腫れてしまうやん。




他の事を考えるんだ!!はなロボ!!!





でも、



オカダさんも、イシダくんも歯が立たない。




私は泣き続けた。
とまらなかった。


頭の中には、控えめに笑うおばあちゃんの顔が浮かんでしかたなかった。


人の親になってやっとおばあちゃんがピカピカの5円玉を
集めてくれてたときの気持ちがわかったよ。


おばあちゃんもうれしかったん?
私が喜ぶのん楽しみにしてくれてたん?



笑ってごめん、
どんくさいって怒ってごめん。

ごめんな。



小学生のころみたいにしゃくりあげて、
泣いて、泣いて、泣いた。





「かまへんよ。かまへんよ。」っていう
おばあちゃんの声が何回も何回も聞こえていた。




おばあちゃん、ありがとう。
[PR]
by hanarobo | 2007-04-13 17:38 | 思い出

スペインで思ったこと。

15年前の夏、休暇をとって
半月ほどスペインでゴロゴロしていた。


いろいろあって職場をやめようかな、と思っていたときだった。
やめてもどうにかなるだろうと思った。
外国でてきとーに働いて日本に帰らんとこかな、なんて夢見た。



世はバブルで、みんな浮かれていた。






職場の元後輩が語学留学していた
バルセロナに逗留した。




そのとき覚えたスペイン語は、

オーラ!= やぁ!

ポルファボール = あの~ちょっと

セルベッサ = ビール

セルベシオ = トイレ

グラシアス = ありがとう


だけ。w


これだけで事足りる生活だった。



後輩が授業に出ている間は、一人で町を観光した。

 サグラダ・ファミリア
 カサ・ミラ
 ピカソ美術館...etc.



朝ごはんは部屋で一緒に食べて
昼ごはんは生ハムのサンドイッチを買ってベンチで食べた。


夜はBAR(バルと読む)のテラスで
いろんな国から来た学生仲間と
サングリアやビールを飲んで騒いだ。

スペイン語と英語が乱れ飛んだ。
国際カップルも生まれた。


そうそう、ピカソが常連だったBARでもよく飲んだ。
なんだかしらないけど、

すげ=、と思った。





毎日楽しかった。
毎日スカッと晴れていた。


無敵だった。





1週間くらい過ぎたころ、何人かで小旅行に出かけた。


もう誰と誰だったか、何人だったかも忘れた。w
なんちゅう名前の町だったかも忘れた。ww


ローカル線にのって、1時間か2時間して、小さな町についた。


昼ごはんはみんなで小高い山の上に登って、
生ハムのサンドイッチを食べた。


 「あ~~~キモチええな~~~~!」(背伸び)


いつもいつも晴れていて、
しかもスカッと晴れていて、
生ハムがおいしくて、
野菜も新鮮で、
何も言うことなかった。


まさしく、すべて世はこともなし。



そのとき後輩が言った。


「はなロボさん、私たちがこうしている間も、
 日本で主婦やってる人たちは
 旦那や子どもの世話に追いまくられているなんて
 バカみたいだと思いません?」


ん?


そのとき私はなんて答えたんだろうか。
それも忘れてしまった。

でも、後輩がそう言ったときのいや~~な感じは覚えている。




一言で言うとこうなんだろう、



私らスゴクね?




何でこのカンペキな気分に水を挿すようなことを言うんだこいつは。
あたしゃ他人と勝負するためにここにいるわけじゃないんだ。
だいたい、私たちは遊んでるだけじゃないか、外人同士で。


そう内省すると、暗くなった。
帰途はちょっと疲れた。



外国でほんとにどーにかなるのか?
当たって砕けろで、砕けちゃったらどーするんだ?



逗留していたバルセロナの宿は、
石造りの古い建物の3階で、
オーナーは日本人の浮世離れしたおばさんで、
黒猫と一緒に住んでいて、
逗留している人たちは、みんな長期滞在の人ばかりだった。



ひとり40歳くらいのナショナル坊やそっくりの小さなおじさん、
(もう私はこの人の歳を超えたけどw)
がいて、その人はもう10年くらいいるという噂だった。


新参者が来ると「どっから来たの?」

あの店はまずいとかおいしいとか、
あの観光スポットはいつ行けばいいとか、
どの大学の授業がいいとか悪いとか、
ハイテンションでしゃべりまくる。



その年齢相応の外見と、
年齢不相応なしゃべりが、
体の小ささと相まって、


なにか私にも繋がる、
ぼんやりとした『危機感』みたいなものを感じた。ww




だから、、、、、そんな彼を見て



いかん!
大人にならなきゃ!



、と思ったのだ。





外国に来て、毎日遊んで、なにかスゴイことしてるような気になってちゃ、
いかんのではないかと。




日本でも外国でもただ同じことをしてるだけだと。w







それからも1週間ほど、



毎朝、3階の宿から石の螺旋階段をポンポンポンと降りてきて、
ひとりでバルセロナの町に繰り出した。


建物の出入り口のところに椅子を出して座っているおじいさんに
「オーラ!」って挨拶をして、
向かいのコンビニで、店員のにーちゃんに「オーラ」って言って水を買って、
大通りまで歩いていった。


歩きながら、
おじいさんやコンビニのにーちゃんは、日本での私たちの姿だ、と思った。


カッコいいとか、悪いとか、そんな問題ではなくて、
あの人たちはスペインに生まれて、
私たちは日本に生まれただけだ。



私たちが夢見た国際人なんて、w
どこにもいないんだ。






後輩には言わなかったけど。ww







そして今、



私は、



専業主婦だけど、





実は、ときどき




私ってスゴイやん。



って思うことがある。






内緒だけど。ww
[PR]
by hanarobo | 2007-04-10 18:21 | 思い出