頭に浮かんだ よしなしごと。


by hanarobo

『分かち合う』ということ。

43にもなって、いまだに「はっ!」と気付くことがある。



バカだ。





さっき気付いた。





私は、『分かち合う』ということを欲していたんだ。
愛情に関して。



いやいや、食べ物とかお菓子とかそういうものを
分けてくれ、というのではなく…w




『経験を分かち合う』っていうこと。




簡単に言えば、

一緒に、映画を見るとか、夜景を見るとか、、、
そんな細かいこともそうだけどw




もっと大きくて、

相手と付き合っている期間をすべて『分かち合う』ってことだ。



私はそういうタイプの人間なのだ、ということが
さっきわかった。



だから別れるとき、
その期間がごっそりと抜け落ちるような感覚に襲われたのだ、と。




だけど、




だけど、世の中には私とは違うタイプの人がいる…
ってことにやっと気付いたんだ。






一緒にいても、その経験を分かち合っているわけではなく、
経験は各々のものだ、という前提がゆるぎない人。



一緒にいて、同じものを見て、同じものを食べる幸せを


そんなに、っていうか、



全く、大事には思っていない人。




こっちが、「おいしいね。」って言っても、
それは私の感想。

自分がおいしいと思うかどうかは別の問題。



顔を見合わせてにっこり笑う、なんてことの意味は理解してもらえない。
一緒に暮らしても、交じり合わない時間が過ぎていくだけ。





そういうタイプの人がいるのだ。




母がそうだった。




だから、私は



母が亡くなっても一粒も涙が出なかったのだ。




一緒にいても
気持ちが一緒だったことがなかったから。



他人よりも遠い存在だった。




母と一緒にどこへ行こうが、何をしようが、
別々の時間が流れていた。





思春期になって、



母になにか悩み事を言うと、

解決方法を2、3挙げ、




私がまだ悩んでいると、

イライラして話を切り上げた。






あのとき私がして欲しかったのは



「そりゃしんどいねぇ。」って、


気持ちに寄り添ってもらうことだったんだ。






今、



思春期のミニロボと向き合うとき、



あの頃の自分がオーバーラップする。







ミニロボを育てながら、



自分を育てなおしているように思う。
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by hanarobo | 2008-05-30 11:38 | 脳内