頭に浮かんだ よしなしごと。


by hanarobo

おばあちゃんのこと。

 CDを聞いていたらその歌詞に「あんじょう」という言葉が出てきた。

「あんじょう」というのは古い大阪弁で、
「ちゃんと」とか、「しっかりと」、っていう意味だ。



私の世代ではもう使わないけど、そういえばおばあちゃんが使っていたなぁ…
と思い出した。


「あんじょうしなさいや。」って。




父方のおばあちゃんはお嬢さん育ちで、おっとりとした人だった。
7人の子どもを産み、そのうちの1人を亡くし、40代で夫を亡くした。

そんなに苦労しているのに、そんな風に見えなかった。




「おばあちゃんは、奈良のええとこの『いとはん』やってんで。」

と身内自慢の好きな父が酒を飲むとよく言っていた。

「奈良の女子師範学校出てるんや。」



おばあちゃんは、薄くなった髪の毛で丸髷を結っていて、
いつも地味な着物を着ていて、ざぶとんの上にちんと座っていた。


父は7人兄弟の末っ子で、おばあちゃんが40のときの子だ。

私は父が32のときの子だから、
私が幼稚園のときにはおばあちゃんは、もう70代後半だった。


小さくて、痩せててちょっと前かがみで、
動作がとてもゆっくりしていた。


おばあちゃんが「あははは。」と笑うところを見たことない。
巾着みたいな口をちょっとすぼめて「うふふふ。」って笑った。


愚痴を言ったり、怒ったり、人の悪口を言ったり、
説教したりなんてこともなかった。

話す声も小さかった。



私はその当時は珍しい1人っ子だったので、
親戚で集まると私を目の前に置いて(わからないとでも思っているのか)

やれ、「1人っ子はわがままになるで。」とか「甘えたになるで。」とか
「兄弟に揉まれてない子は弱いで。」とか、
もうほんとにいろいろ言われ放題だった。


でも、おばあちゃんはなんにも言わなかった。



遊びに行くと、


なんていったらいいのかな?、、、
5円玉に紐を通して輪にしたもの、をくれた。
長いときは全周70~80センチくらいになったと思う。


5円玉はピカピカのものが多かった。
紐は確かいつも赤い色だった。


私はなぜか金属のピカピカして重量感のあるものが大好きで、
拾ったパチンコ玉や町工場の前の道に落ちてた光輝くボルトなどを
缶にいれて大事に持っていた。

そしてときどき自分で眺めたり、大人に見せたりして喜んでいた。


だからおばあちゃんは、5円玉をくれたのかな。




おばあちゃんは伯父の家に同居していた。
もう家事なんてぜんぜんしてなくて奥の部屋でちんとしていた。
部屋には仏壇とこたつがあるだけで、TVもなかった。


私が親と行くときは、親は大人だけで集まって、
私はおばあちゃんの部屋に預けられた。


部屋に行くと、おばあちゃんはちょっと笑って、
それからゆっくりと立ち上がって、柱の丸いひっかけねじにかけてある
例の5円玉の輪っかをはずして私にくれた。

私が喜んでいると、親が「ほら、ありがとうは?」って言った。


おばあちゃんの部屋の窓を開けると、すぐ前を線路が通っていた。
南海平野線のちんちん電車が目の前を走った。


窓から電車をながめたり、おばあちゃんのしわだらけの手の皮を
ひっぱって遊んだりしてたら、いつのまにか帰る時間になった。


「また来るときまでに貯めとくさかいな。」っておばあちゃんが言った。


「ピカピカのんにしてな。」って私は言った。
時々どす黒いのも混じっていたからだ。w


「なかなかあれへんでな。」って、おばあちゃんは言った。

「でもさがしとくわな。」



小学校2年生のとき母が入院した。
家事の全くできない父は、おばあちゃんを呼んだ。

もう80は超えていたはずだ。
さらに動作がゆっくりになっていた。
体は枯れ木のようになっていた。


もう私は5円玉を喜ばなくなっていたし、
人を小ばかにするようないやらしい子どもになっていた。


お風呂に入るとおばあちゃんのしなびたおっぱいを指差して笑った。
入れ歯をはずして、くちゃってなった顔を笑った。

おばあちゃんはヤクルトが飲めなかった。
小さい容器なので口をうまくすぼめられなくて
横からだらだらとこぼれてしまうのだ。

私はおなかをよじって笑い転げた。
おばあちゃんは「うふふ」って笑って「難儀やなぁ。」って言った。



私は「おばあちゃんはどんくさいなぁ~」ってよく言った。

笑っていうこともあったし、
イライラして言うこともあった。

それでもおばあちゃんは特になんにも言わなかったと思う。



母がいなかったし、父はわからず屋だし、
おばあちゃんはどんくさいし、私は荒れていたかもしれない。



しばらくして、学校から帰ると母がいた。


玄関先で私は立ったままじっと母を見た。
母は正座してこっちを見ていた。


父はいつも
「おかあさんは体が弱いからわがまま言うたらあかんで。」て言っていた。
だから、久しぶりに会ってもどうしていいかわからなかった。
お互いに。

私は黙って母を見つめていた。
おばあちゃんとのお別れだった。





それからすぐ、私たちの住んでいるところの上に高速道路が通ることになって、
うちの家もおばあちゃんの家も立ち退きすることになった。

みんな引越しして、
うちとおばあちゃんの家はそうそういける距離ではなくなってしまった。


そして、おばあちゃんに会うこともあんまりなくなった。



中学3年生のとき、おばあちゃんがしんだ。
年も年だったし自然のことだと受け止めた。
涙も出なかった。





…とそんなことを、



歌の中の「あんじょう」という単語を聞いて思い出した。




おばあちゃんのことを笑ったりして悪かったな。って。




そして、、、、そのとき



あ、と気づいた。



赤い紐を通した5円玉。




遊びにいく間が遠のくと、長くなった5円玉の厚みとその重さ。





おばあちゃんは、


その1枚1枚を赤い紐にくぐらせるたびに私のことを考えてたんだ、って。
「はなロボちゃん、喜ぶやろな。」って。


お店でピカピカの5円玉のおつりをもらったら、
私が喜ぶって思った、その気持ち。



1枚1枚におばあちゃんの心が乗っかっていたんだ、って。



それがぱっとわかった。



ほんとうにわかった。






おばあちゃん、ごめんなさい。


ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。。。




もう泣けてきて泣けてきて、
顔中ぐしゃぐしゃになって、
膝を抱えて泣いた。



どないしょ=
もうすぐミニロボが帰ってくるのに。

目が腫れてしまうやん。




他の事を考えるんだ!!はなロボ!!!





でも、



オカダさんも、イシダくんも歯が立たない。




私は泣き続けた。
とまらなかった。


頭の中には、控えめに笑うおばあちゃんの顔が浮かんでしかたなかった。


人の親になってやっとおばあちゃんがピカピカの5円玉を
集めてくれてたときの気持ちがわかったよ。


おばあちゃんもうれしかったん?
私が喜ぶのん楽しみにしてくれてたん?



笑ってごめん、
どんくさいって怒ってごめん。

ごめんな。



小学生のころみたいにしゃくりあげて、
泣いて、泣いて、泣いた。





「かまへんよ。かまへんよ。」っていう
おばあちゃんの声が何回も何回も聞こえていた。




おばあちゃん、ありがとう。
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by hanarobo | 2007-04-13 17:38 | 思い出