頭に浮かんだ よしなしごと。


by hanarobo

「どうにかなる」の行く末。

子どもの頃、つまらないことで心配していると、
親に「そんなのどうにかなる」とよく言われたものだ。


確かにそのころ心配していたことで
どうにかならなかったことはなかったし、


たとえスッキリ解決せずとも、
放っておけば、


しばらくの間だけ、だらだらと引きずり、
やがて消えていったと思う。



どうにかならなかったことはなかった。




だけど、連日のテレビ報道で、
放っておいたためにえらいことになっている家庭がたくさんあることを知った。

人の死を作為的にしろ、不作為にしろ、放っておいたということ。
そこに罪の意識はない。
それについて思うのは「当事者意識のなさ」である。




家族間で「死」を話題にすることはなかなかない。
たまに話題に上ればそれこそ「どうにかなる」とお茶を濁してしまう。


若ければ、ずっと先のことだと思うし、
家族に年寄りがいると口にするのもはばかられることだから、
そういうことは「放っておく」というのがデフォルトになっている。


でも、ほとんどの人は
その時がくれば、ちゃんと行動し、どうにかするものである。


そう。どうにか『なる』のではなく、どうにか『する』のだ。
当事者意識があれば。




そもそも、「どうにかなる」というのは、



当事者意識を希薄にさせることで
気を楽にする言葉である。




子どもの頃の「どうにかなる」は、確かにどうにかなったが、
大人になった後の「どうにかなる」は単なる責任放棄だ。
そこに「私が」という主語はない。






自分しかできないことに対して、
当事者意識を持たせることも

親の仕事だな、と。




そんなことを思ってたら、


宿題が、どうにかなった新学期が始まった。
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by hanarobo | 2010-09-02 11:34 | 脳内